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太山寺 (神戸市) : ミニ英和和英辞書
太山寺 (神戸市)[たいさんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
山寺 : [やまでら]
 【名詞】 1. mountain temple 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [かみ]
 【名詞】 1. god 
: [と]
 【名詞】 1. door (Japanese-style) 
: [し]
  1. (n-suf) city 

太山寺 (神戸市) : ウィキペディア日本語版
太山寺 (神戸市)[たいさんじ]

太山寺(たいさんじ)は、兵庫県神戸市西区にある天台宗仏教寺院。山号を三身山(さんしんざん)と称する。本尊は薬師如来十一面観音、開基(創立者)は藤原宇合と伝える。
== 歴史 ==
「播州太山寺縁起」によれば、元正天皇勅願寺として716年霊亀2年)に発願者である藤原鎌足の孫の藤原宇合が堂塔伽藍を建立したとされる。開山(初代住職)は藤原鎌足の長男・定恵(「定慧」「貞恵」とも書く)とされている。創建時の建物は1285年弘安8年)の火災で焼失しており、現存する建物はそれ以降に再建されたものである。
開山とされる定恵は、藤原鎌足の長男で(次男は藤原不比等)、若くして出家し、遣唐使とともにに渡った。生涯について謎の多い人物で、没年についても『日本書紀』『藤氏家伝』は665年天智天皇4年)、『元亨釈書』は714年(和銅7年)とするなど定かでない。太山寺の境内および周辺からは定恵の時代までさかのぼる遺跡、出土品等は確認されておらず、実際の創建は平安時代に降るとみられている。
南北朝時代の南朝方勢力として支院41ヶ坊に僧兵を有していた往時の繁栄をしのばせる大規模な本堂は国宝で、国の重要文化財は仁王門、阿弥陀如来坐像をはじめ19件を数える。また安土桃山時代枯山水名園、安養院庭園は国の名勝に指定されている。
所在地周辺55.9haは「太山寺風致地区」として自然景観が保護されているため境内の内外には原生林が残る深森で、ひょうごの森百選にも選ばれ、春は、秋は紅葉の名所として知られている。
==伽藍==
*本堂 (国宝)
: 鎌倉時代1300年頃の建立。入母屋造、銅板葺き。桁行(間口)7間、梁間(奥行)6間(ここで言う「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を意味する。以下同じ)。実寸は柱真々間正面20.82m・側面17.76mである。弘安8年(1285年)の火災後、13世紀末頃の建立とみられる。人の空間である外陣と仏の空間である内陣を結界(本建物では格子戸)で分ける、中世密教仏堂の典型である。内部は板敷で、手前の梁間3間分を外陣とする。後方は桁行5間、梁間2間分を内陣、その左右と背面の1間通りを脇陣及び後陣とする。内陣の後寄りに桁行3間の須弥壇を設け、その中央の間に厨子を置き、内部に本尊薬師如来像を安置する。厨子には弘安元年(1278年)の墨書がある。組物は出三斗、中備を間斗束(けんとづか)とする。柱間装置は正面7間をすべて蔀戸(しとみど)とし、側面は前から1間目を幣軸(扉回りに取り付ける枠状の部材)付きの板戸、2間目を蔀戸、3間目を格子戸引違い、5間目を板戸とする。背面は中央間のみ板戸とし、他を土壁とする。以上のように、建物前方の外陣部を開放的な扱いとするのに対し、内陣部は開口の少ない閉鎖的な構えである。柱には隅延び〔建物の中央部の柱より隅の柱の「せい」を高くすること〕があり、これによって軒反りを形成している。建築様式は蔀を多用するなど和様を基調としているが、頭貫の木鼻〔頭貫(かしらぬき)は、柱の頂部を繋ぐ水平材。木鼻は、部材(ここでは頭貫)の端部の装飾彫刻。〕などに禅宗様の要素がみられる。本建物で特異な点は、組物の肘木〔組物は柱上にあり、屋根荷重と軒の出を支える部材で、「斗」という平面が方形の材と、「肘木」という水平材からなる。〕に和様のものと禅宗様のものが混在している点で、建物の東半分の肘木は木口を直線的に構成した和様、西半分の肘木は曲線で構成した禅宗様になっている。〔『週刊朝日百科 日本の国宝』31、pp.3 - 21 - 24(解説執筆は多淵敏樹)〕
*仁王門 (重要文化財) - 室町時代、入母屋造、本瓦葺、八脚門、棟高8m
*阿弥陀堂(常行堂) - 江戸時代前期(1688年貞享5年)
 *阿弥陀如来坐像(重要文化財)― 鎌倉時代初期、像高274cm、定朝様
*三重塔 - 江戸時代前期(1688年・貞享5年)、大日如来像および四天王像安置
*護摩堂 - 江戸時代中期、宝形造、大黒天像・不動明王像・毘沙門天像安置
*観音堂 -
*釈迦堂 - 江戸時代後期、釈迦三尊像安置
*羅漢堂 - 江戸時代後期、四天王像および十六羅漢尊像安置
*稲荷舎 -
*地蔵尊 -
*鐘楼
*中門
;奥の院
*閼伽井播
*稲荷舎
*地蔵堂
*磨崖仏(不動明王立像)― 鎌倉時代(弘安年間)
 *伊川(太山寺川)の上流の岩肌に彫られたもので高さ約200cmの厚肉彫り

画像:Taisanji17s3200.jpg|本堂内部(外陣の入側柱列)
画像:Taisanji15s3200.jpg|本堂から三重塔を望む
画像:Taisanji08s3200.jpg|護摩堂
画像:Taisanji-magai01.JPG|磨崖不動明王

==塔頭寺院==

*安養院
 *安養院庭園― 枯山水、桃山時代、国の名勝
*成就院
 *成就院庭園― 枯山水、江戸時代、兵庫県指定名勝
*龍象院
*遍照院
*歓喜院
 *歓喜院庭園― 枯山水、江戸時代、神戸市指定名勝
 *表門― 薬医門、檜皮葺、市指定文化財
 *本堂 (1777年築、2002年焼失)跡

画像:Anyoin08 1024.jpg|安養院
画像:Jojuin02 1024.jpg|成就院
画像:Ryuzoin01s3200.jpg|龍象院
画像:Taisanji18s3200.jpg|参道、左手に安養院と成就院


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「太山寺 (神戸市)」の詳細全文を読む




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